Stefano Poletti


ステファノ・ポレッティ

 

むかしむかし秋のはじめの頃でした。湖を囲む山の斜面に住む、お腹に子を宿したEnri caは、湖の見える庭に腰かけて、目の前に広がる景色を描いていました。
その日はいつにも増して湖の輝きが美しく見えたものですから、Enricaは思わず手を止めて言いました。「この湖のように深く澄んだ青い目と大地を覆う黄金色の麦のような髪の美しい男の子が欲しい」と。
それから少し経ち、生まれてきた男の子を見てEnricaは願いが叶ったと驚き、感謝をして、Stefanoと名付けました。
愛らしい小さな男の子Stefanoは、いつでもマンマの真似をして、絵を描いたり、ビーズで遊んだり、人形の服を作ったり、粘土をいじったりしていました。「いいわ、Stefano。とてもクリエイティブだわ。そうよ、手を止めないで、続けて。もっともっとよくなるわ」マンマはいつもStefanoが創作に向かうように促しました。
夏は毎年決まって15日間を、マンマの大好きな海で過ごします。
4歳か5歳の時に、家族に連れられて、そこから直ぐのヴェネツィアに行き、ミラノとは違った美しさに魅了されるStefanoでしたが、船で訪れたムラーノ島の吹きグラスを見たときには、ひときわ大きく見開いた目をきらきらと輝かせて、「なんてきれいなんだろう。もっときれいなものを作りたい、きっと僕なら作れる」そう心に刻みました。

Stefanoがものごころつくようになると、ミラノの学校に通います。学校から帰れば、マンマと一緒に買い物にも行きます。当時のミラノはモードの最先端の町でしたから、マンマも装いには気を配っていました。「いい、Stefano。こうして触って素材の質を確かめるの、それから縫い目や始末の仕方を見て、丁寧な仕事かどうかを確認するのよ。そういうものは身に着けた時もしっくり体に馴染んで長く着られるわ。名の通ったものでなくてもいいのよ。大事なことは、自分でその価値を判断できるようになることなの」マンマが買い物の度に繰り返す、ひとつひとつの確認をStefanoはいつも横で見ていました。
金曜日の授業が終わると、湖の家に向かいます。朝起きれば、庭の樹木や花の手入れを手伝い、部屋に飾る花を活けます。庭にテーブルを出してクロスをかけデコレーションを済ませ、湖を眺めながら食事を取り、時間があれば山へ出かけ、木の実を食べ、鳥の声を聞き、川で泳ぎ、草の中に寝そべって、何時間でも過ごします。目に入る自然全てと触れあい、自然に包まれることをStefanoは、楽園で暮らすことのように感じました。
ミラノの家の1階には、パスティチュリアがあり、前を通る度にマンマと買い物をします。
12月になると、パネトーネの甘い香りが窓から入ってきて、間もなく訪れるクリスマスのために部屋を飾ります。クリスマスツリーを飾るサロンのガラス窓の付いた扉に絵を描き、そこから見る部屋の中の幻想的な色合いが、Stefanoは大好きでした。

16歳の時、サミュエル・バケット作の『ゴドーを待ちながら』を劇場で見たStefanoは、強く心を打たれ、それからイタリア20世紀初頭の劇作家ピランデッロの作品を
全て観劇すると、その後イタリアのアヴァンギャルドなボブ・ウィルソンの作品に没頭します。バケットからピランデッロの心理劇も好きでしたが、フィレンツェのイ・マガッツィーニ・クリミナルの画期的なイメージ、音、演技を組み合わせた新機軸の演劇は、光と超越した美によって時空を超えるような体験をさせてくれました。
すっかり演劇の虜になったStefanoは、俳優になろうと学校へ通い始めます。しかし、数か月経った頃、学校がつまらなくなります。「僕はテアトロが大好き。でも俳優になったら、観られないじゃないか。僕はテアトロに出かけて観劇する方がずっと好き」
それからミラノのマランゴーニでモードの勉強を始めたStefanoは、瞬く間に創作に夢中になります。モードが多様なものの集合で、そこに豊かな創造性を感じたからです。毎日とめどなくあふれるアイディアをデッサンし、作品を作りました。
80年代初め、ミュグレー、モンタナ、ゴルティエの活躍するパリのデフィレを見るために出かけて行き、衝撃を受けます。それまで知っていたものとは全く違う世界に、Stefanoはパリに行く決意をし、パスポートを取得します。
「どうしてパスポートが必要なの。それは何の役に立つの」
マンマも他の家族もパスポートを見たことがありませんでした。両親は、イタリアが大好きでイタリアの外へ出かけるよりも、イタリアを深く知ることに興味があったからです。
Stefanoがパリ行きの話を打ち明けると、マンマは来る日も来る日も泣きました。そんなマンマを置いては行けないと、パリ行きを断念することも考えます。「Stefano、あなたはパリに行きなさい。パリならあなたの作りたいものを思う存分作れるから」親友に強く言われたStef anoは、決意を固めてミラノを後にしました。

初めの頃のパリでの生活は、マンマの居ない寂しさで感傷的になることもありましたが、作品を作っては、デザイナーを訪ねることで、多くのデフィレのビジューを作るようになり、Stefanoは間もなく、自身のブランドを立ち上げます。
小さい頃、自分と約束をした地ヴェネツィアでガラスを使い、ビジュー、テーブルオブジェ、インテリアオブジェを創作することは、Stef anoにはとても自然なことでした。
最初に手掛けたボタニキュス・コレクションは、自分だけの庭を持ち歩くというコンセプト通りの完成度の高い作品で、マンマは大喜びして、部屋中に飾るほどの数を持ち、愛用してくれました。「僕には服は向かない。ビジューの方が楽しい。ビジューは、自分の手で完成させることが出来るから。手を動かしてプロトタイプを作りながら、いろんなことが浮かんできて、作品が出来上がる頃には物語も完成する。それは、アートを生み出すのと同じだよ。」

長くひとつのことを続けるというのは簡単なことではありませんでした。最初は全て目新しくて、新鮮で、でも経験を重ねれば嫌でも市場、商業的なこと、そして現実と向き合わざる得なくなり、いつでも選択を迫られ、疲れて、意欲や創作も思うようにいかないということもあります。
「今もアイディアが止まらないのは、マンマのおかげ。いつでもクリエイティブであれと言い続けて、実践させてくれた。人形の服を作ることも、テーブルを飾ることも、ウィンドウ・デコレーション、パッケージング・デザインも全部、小さい頃から親しんできた、演出なんだ」
パリで独り立ちして35年が経ち、今まで通りビジューの創作を続けるStefano。
数年前から花職人と庭師の仕事も始めています。花を育て、野菜を育て、庭のデ
ザインをします。マンマと暮らした湖の家で行う大地のデコレーションという新しい創作も、Stefanoにとってはとても自然なことで、あの頃と同じように、手を止めないで続けます。