誰もが主役になれる帽子たち


1985年、初代デザイナーのジャック・ル・コーが作り出した1点のハットから、30年以上続いていくブランドの歴史がスタートした。様々な紐・トレース・リボンなどの素材を1930~40年代の古いミシンで縫い合わせたクロシャールハット。それまで儀礼的だったハットのイメージを大きく打ち砕いたこのコレクションは当時のファッション界に衝撃を与えた。1998年には、初めてのバッグコレクションで今なお愛され続ける不変のモデル、リスボンが発表される。ジャック・ル・コーのクリエイションは流行に左右されることなく、性別を問わず、時間を超越する。考え抜かれたミニマルなラインで作られたフォルム。主役はハットでもバッグでもなく、それらを被り、持つ人。それぞれが自分の身体の一部にすることで、その人のオリジナリティーが完成するのだ。

迷い込んだメイドインフランスの世界
ジャック・ル・コーの現クリエイターとしてブランドのエスプリを伝える大前真寿美。彼女が社会人になるときに、最も避けたいと思っていた業種は繊維業界やファッション業界だった。京都に生まれ育った彼女が着物業界の衰退で職替えを余儀なくされた京都人を大勢見聞きしていたからだ。ところが東京でフランスのブランドに携わるるようになり、MADE IN FRANCEのものづくりと出会ったことから予期せぬ展開が待っていた。
パリのアトリエで作られ送られてくるコレクションの素材、色使い、完璧な仕上げを見て感動したことから、フランスの土地、言葉、素材…その側にいて、あらゆるものに関わる仕事がしたいと思うようになったのだ。この思いをアートにも向けていた当時、大前は美術史の学校に通いながら、東京の友人を介してH.P.FRANCE代表、村松孝尚と知り合い、H.P.FRANCE s.a.r.lパリ社でアルバイトをすることとなった。1998年からは本格的にジャック・ル・コーとのものづくりをスタートさせ、以後13年間、彼女はジャックの創り出すクリエイションのサポートに邁進することとなる。

ブランドの転機
2010年、デザイナーのジャック・ル・コーが死去。ブランドを存続するか否か、立ち止まっていたときに、ふと自分がいなくなってもブランドを続けてくれと言っていた生前のジャックの言葉を思い出した大前は、何の迷いもなく、再び走り出した。
ハットはクロシャール、バッグはリスボン。ジャックが残してくれた明確なDNAと、ブランド設立当初から彼と一緒に歩んできた職人たちの技術、これら全てがジャック・ル・コーのエスプリとして今なお変わることなくブランドを支え続ける。南仏に構えるハットのアトリエ、kôbô。この場所で素材と向き合う時、ブランドのDNAに彼女が何をプラスできるのか、毎シーズン問いかけながらクリエイションは受け継がれている。