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HOW PEOPLE LIVE?
- Story of Yann Le Goec -




100人いれば、100通りの考え方があるという理念のもと、個性豊かなスタッフが集うアッシュ・ペー・フランス。
今回は、20年以上に渡りディレクションとバイイングを手がけるフランス人のヤン・ルゴエックの仕事と生き方に注目する。

   
ヤンはフランス・パリ近郊の街、ポワシーで生まれた。幼い時からデザイナーを夢見てファッション雑誌やスケッチの蒐集に夢中になり、高校では経済を学びながらダブルスクールでファッションの勉強を始めた。18歳でフランスにあるアートの4大名門パブリックスクールの一つ、デュペレ応用美術学校に入学し本格的にファッションデザインについて学ぶ。21歳の時、フランス発ブランドのデザイナーアシスタントとして自身のキャリアをスタート。その後、パリで活動する日本人デザイナーのアシスタント、伝説的なセレクトショップ「コレット」のオープニングスタッフ、GIVENCHYジャパンのデザイナーなど経験を積む中で、初めて東京と大阪を訪れる機会に恵まれた。
幼少期のヤン。
デュペレ応用美術学校一年目にデザインした最初の作品。インスピレーション源はベルギーの人気漫画『タンタンの冒険』。
初来日で何より衝撃を受けたのが、ハイブランドを着こなして街を行き交う日本人の姿だった。当時、フランス人はクリエイションに共感しビッグメゾンの服を買うものの、日常的にパリの街でそれを着る光景を目にすることは稀だった。この発見をきっかけに、ファッションをデザインするだけでなく、実際に着こなしてファッションと共に生きる人々がいる国で暮らしたいと思うようになる。大のお気に入りは『MEN'S NON-NO』のスタイリングとストリートスナップ。ヨーロッパとは全く異なる着こなしやヘアスタイルは日本人独自の感性によるもので、モダンなジャパニーズカルチャーの虜になっていった。
   

アッシュ・ペー・フランスとの出会い


程なくして、エスモード・ジャポン大阪校のファッションデザイン講師として大阪に移住。二年後、パリにいる共通の知人を介してアッシュ・ペー・フランスと出会った。次は日本由来の企業で経験を積みたいと考えていた彼は、JACQUES LE CORREのブランドマネージャーとしてその門戸を叩く。
アッシュ・ペー・フランスでヤンが携わったプロジェクトは、日本人マーケットに合わせて立ち上げたオリジナルシューズのデザイン、店舗ディレクションや買い付け、インテリア部門の空間ディレクション、ブランディングなど多岐に渡る。彼が手掛ける多くのプロジェクトには、年間約300本も鑑賞するという映画からのインスピレーションも反映されている。特に50〜80年代に制作されたクラシック映画からアイディアを得ることが多く、とある店舗のディレクションではスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』をイメージした装飾を考案したこともある。
ヤンのお気に入り映画の一つである、ウディ・アレン監督の『世界中がアイ・ラヴ・ユー』。ミュージカル・ロマンティックコメディ映画で、100回近く観ているそう。

ベルリンで見つけた新たな可能性


2004年、ヤンは展示会視察のためドイツのベルリンを初めて訪れた。当時、ファッションの中心地として世界中のバイヤーが訪れる場所は言うまでもなくパリであり、誰もベルリンには見向きもしなかった。しかし、実際に現地でクリエイターたちの話を聞いてみると、当時のベルリンはヨーロッパの主要都市でも物価が安く、多くの若手アーティストやデザイナーがアトリエを構えて活動していたという事実を知った。彼の予想に反し、ベルリンには才能溢れるデザイナーたちが集っていたのだ。
ベルリン発ブランド、ANNTIAN(アンティアン)のデザイナー二人。

ヤンが初めてベルリンを訪れた2004年、ドイツ人デザイナーやドイツのアパレルショップ経営者たちと。
2010年のベルリンファッションウィークにて、左から二番目がヤン。

パリファッションウィークにてドイツ人デザイナー、Bernhard Willhelm(ベルンハルト・ウィルヘルム)と。
この出会いをきっかけに、ベルリンをコンセプトとするセレクトショップ「WUT(ヴット)」が誕生する。当時ヤンが読んでいたドイツ語著書の1ページに大きく記されていた“WUT”という文字。とても強い言葉で、フランス語では“狂気に近い怒り”のようなニュアンスで訳されていた。ベルリンのデザイナーたちにはクリエイションに対する熱いパッションがあるのに、誰も目を向けようとない。彼らの“怒り”をファッションに投影し続けるべきというメッセージから、新しい店は「WUT」と名付けられた。
WUT 2013年秋冬コレクションのショー。
WUT 2014年春夏コレクションのショー。


ヤンは三次元モデルで設計プランをデザインするところから、空間ディスプレイ、買い付け、カタログ制作まで、ディレクションに関わる全てを手掛けた。オープンから1年で大きな反響を呼び、店舗はすぐに拡大。WUTでは、セレクトショップとしては新しい試みであるファッションショーもシーズン毎に開催した。ブランドにシーズンテーマがあるようにヤンのセレクトも毎シーズンテーマを掲げ、コレクションを発表するショーには大勢のファッションフリークたちが集った。その後、何度か移転を繰り返しながら10年以上経った2021年現在も新宿ルミネエスト内にコーナー店を構えている。

新宿のdestination Tokyo内にあるWUTのコーナー店。
  
   

「人 と 人」のビジネス


様々なフィールドでのキャリアを経て、ヤンはなぜアッシュ・ペー・フランスが特別だと思うのか。その答えは、ショップ毎が異なるコンセプトで成り立つ多様性と自由な感性、個性を尊重する「人と人」のビジネスだという点にある。遡れば80年代にアッシュ・ペー・フランスがパリで買い付けを始めた時も、「もの」ではなく「人」との出会いがきっかけだった。最初にクリエイターのパーソナルな部分に惹かれ、その上で彼らのクリエイションが素晴らしいと思えば、日本で紹介するという流れだ。そして、ヨーロッパに留まらずニューヨークやブラジル、アルゼンチンなどセレクトするブランドも世界中に広がりコンセプトも多岐に渡るため、ヤン自身でさえ社内で知らないブランドも山ほどある。
ロンドン発ブランドのTYPICAL FREAKS(ティピカル・フリークス)と、KA WA KEY(カワキィ)のデザイナーたちと。
2012年ソウルファッションウィークにて、韓国のデザイナーと。
ヤンは「アッシュ・ペー・フランスのお店を訪れる時、そこには沢山の発見や出会いが待っている」と話す。他では見ることができない世界観を体験できる、唯一無二のセレクション。お客様とのコミュニケーションを楽しみながら、大好きな商品の背景にあるクリエイターのストーリーや生き方を伝えるお店のスタッフ。クリエイターたちの意図を尊重し、それを代弁するディスプレイやカタログ。これら全てのアプローチが大変ユニークだと話した。

アッシュ・ペー・フランス創業からあと少しで40年の節目という2020年、新型コロナウィルスの流行により社会も、人々のファッションとの向き合い方も大きく変化した。しかし、「僕たちにとっては良い意味で新しいスタートになる」とヤンは語る。彼が新しい挑戦として現在ディレクションを手がける「H.P.FRANCE 銀座」は、ファッション、小物、アクセサリー、インテリア、化粧品まで、一つのライフスタイルを提案できるミックススタイルの店舗だ。
2021年2月にオープンした「H.P.FRANCE 銀座」
さらに「アッシュ・ペー・フランスは今までになく強くなっている」と自信を持って付け加えた。ファストファッション流行から近年は大衆向けの量産型市場になり、どのお店を訪れても新鮮味が薄れてしまった今、オリジナリティを求める人にとってアッシュ・ペー・フランスがまさにその期待に応える場所になると言う。その背景には1984年の創業から今までずっと、メジャーよりもオリジナルと創造性を追求し、お客様に提案してきた実績がある。「人と人」の繋がりを感じられるアッシュ・ペー・フランスのお店が、お客様に最高の体験をお届けする場所であり続けるよう、これからもヤンの挑戦は続いていく。


文章:米田沙良(アッシュ・ペー・フランス 広報部)