私自身が変化を恐れてはいけない


矢野 悦子




変えたいという思いを行動に


昨年秋、30年近く住んだ東京を離れ、神奈川県三浦郡葉山町に引っ越した。全く突然のことではなく、実に10年越しの密かな計画であった。ただ10年前は東京でなければ仕事にならないという風潮も自身の考えもあり、非現実的で夢の話でしかなかった。「葉山?セミリタイア?」など現在においても言われることだし、私自身も都心の便利な生活が一番だと信じ込んでいた。
40代に差し掛かる頃、ますますグローバル化が加速し世の中が大きく変化してく中で、正直生き辛さを感じ始めていた。
仕事においても賞味期限のようなものを感じることがあったし、人とコミュニケーションを取ることが上手でない上にこうした現実に悩まされた。
だからこそ「新たな扉を開いて先を見たいし、行きたい」と思った。これから先数十年人生が続くなら、どうやったら豊かに生きられるのか、人生に向けてもう一度考えた。慣れ親しんだ場所を離れることは勇気がいることだったけど、私にはやらなければならないという思いだった。
きっかけはいろいろあるが2012年頃から新たなフェミニズムの動きに触れたこと。2013年にはスーザン・チャンチオロにしばらくぶりに逢い、彼女の来日を期に彼女のショーをLamp harajukuで行ったことだった。そして2014年の初め、ハンナがジェニファーのフェミニズムを紹介してくれたことをきっかけにアートショーをLamp harajukuにて開催したのが「SHEROS(シーローズ)」だった。この時新たに触れたフェミニズムは、これまでの高度資本主義において経済活動を回して行くための社会から、女性や男性、年齢、国籍にとらわれず、共同性、分かち合い生活する。メインストリームに陥ることを拒み、自ら創り出すこと、社会は変わらないかもしれないが、変えたいという思いを行動にして行こうというような考えだった。
 
 

日常から美を見出す


1990年代半ば、私はスーザン・チャンチオロというアーティストを知った。
当時は今以上に大量生産が主流であったが、彼女は全く真逆の存在だった。天然の顔料で染めたり、不用品をクリエイションでリサイクルし作品にしていた。ZINEも多く制作されていた。
そして村松社長がニューヨークでお店を開くと言い出した頃、私もすぐにニューヨークへ飛び社長からハンナを紹介された。彼は私に「ハンナに触れていた方が良い」と言った。
その為Lamp harajukuをはじめたころ、ハンナがセレクトしたニューヨークの若い作家のユニークなものがおいてあるコーナーがあった。それらがニューヨークからムーブメントになったスーザン・チャンチオロを中心としたDIYの精神に影響を受けていた作家達だったことをのちに知った。スーザン・チャンチオロの服、ハンナの選ぶ服や小物は売れる為に創られた物では決してなかった。例えば、手縫いだったりするからポケットから物が落ちてしまう。でもそれを着る側が受け入れて、ポケットから物が落ちたりすることもあるよねという感じで着こなす。肩幅が小さい洋服があれば自分の体をそのサイズに合わせて背中を少々丸めながら着こなす。汚れのようにしか見えない柄も気になるならアップリケしちゃえば良いと接客する。当時、今では信じがたいがまかり通っていた現実を幾度となく体験した。クリエイションの全てを受け入れ、発信することを楽しんでいた。感性を磨くには特別なアーティストや、美術館に行って鑑賞することだけではなく、日々の出来事、毎日の仕事、風景など日常から美を見いだすこと。
そこには決して良いことばかりではなく、悲しみや苦しみも時には伴うがそうやって経験が身体に染み込むことで磨いていくのだろう。
便利な東京は今も素敵だが、私の中ではある時から一番ではなくなった。しかし作家達のパワーのあるクリエイションをいつまでも純粋に届けるためにも、私自身が変化を恐れてはいけないと感じている。

矢野悦子(やの えつこ)
Lamp harajuku ディレクター