奇跡をクリエイトする共同体


渡邊 睦





「ピンポ~ン」ドアのベルがなり、誰かと思って覗いてみると、そこには昨夜クラブで会った外国人の女性が立っていた。フム…
今から、27年前、渋谷の道玄坂にあるマンションで、DJブースと布団しかないワンルームで暮らしていたのだが、外国人といきなりサシ?フム…英語話せないけど…と思いつつドアを開いた。その日が楽しかったのかどうかはあまり記憶にはないが、その日から私の部屋は、「ザ・タマリ場」と化し多人種で多くの人と、毎晩過ごしたのは今でも懐かしく思い出す。

それを機に、海外という扉が開き、英語は辞書を片手に実体験を通して学び、私は常に旅に出るようになり、沢山の人と出逢ってきた。アッシュ・ぺ ー・フランスに入 社してから数年後の1995年10月、皆既日食があることを知った私は、思い立ったようにインドへ渡った。皆で申し合わせたわけでもなく、国籍様々な約60名の仲間が集うことになり、急遽バス2台を借り、インターネットという概念のかけらもない中かなりアバウトな地図を頼りに4日間走り続け、ようやく辿り着いた目的地で目にした皆既日食。太陽と月と地球が織り成す壮大な自然現象の中に自分がいると感じた時、頭の中に太陽系が感覚的に掴めたのを鮮明に覚えている。それは、これから地球という場所で遊べることの最高の楽しみや、地球で自分の命が終わるぐらいでいいかなという想い、自分の人生の儚さと、人と人を繋いで いくことの重みを感じた瞬間でもあった。

そんな稀有な旅の数々を通して、今でも続く「奇跡」と呼べるのは、多くの時間を共にした「旅人ファミリー」との繋がりだ。出会ったときは10人程度の単なるグループのような繋がりだったが、一緒に暮らし、一緒に旅をすることで、血の通いも超え、十数年ぶりに会っても壁や時空のずれもなく、そのままの自分を受け入れ、「Hey!」と当たり前に会話が始まる繋がり。そのファミリーも、旦那や奥さんも増え、子供も増え、今では60人ほどのファミリーになり、子供同士でもSNSのやり取りを行う次世代のファミリーも自然発生している 。この繋がりは、私自身の事業コンセプトの根幹になり、もっと大きな括りの共同体にできないか?言葉もいらない、クリエイションという可能性に込められた共通言語をもとに、人と人を繋げることができるのではと、理想が生まれた。真剣に遊ぶことで生まれた、「rooms(ルームス)」という名前の誕生でもある。
2019年の春、roomsも誕生からもう少しで20年。そろそろ「遊び(仕事)の時間だな」と。新婚旅行でもある旅は、綿密に計画してGOというよりは、何かに導かれるように、世界一周のチケットを手にし、それと同時になぜ世界一周なのか?今更何か見つかるのかな?自分探しなんてものでもないし…と思いを馳せながら助走をするように、日本から東方面にニューヨーク→アルゼンチンと回った。アルゼンチンはH.P.FRANCEでの繋がり、旅人ファミリーもいる場所で、人と会う、人と出逢うことも徐々に増え、私の中に眠っていた「だから出逢う」が呼び起こされ、その想いが徐々に明確になることで、不思議な出逢いは加速していった。



次の目的地であるペルーでは、泊まったホテルの壁に飾られた陶器で出来た「EXIT」のサインに目が止まり。陶芸家のペルー人の元へと、直接アトリエへを尋ねた。会って話を聞いてみると、偶然にもJICAの協力を得て陶芸で発展途上国と日本を結ぶチームの一員として6ヶ月間滞在していたことが 分かり、様々な日本での写真や、日本で出版された彼が掲載されている本、ドラゴンボールの話題以外では全く笑顔を見せない彼の息子と、不思議な繋がりを感じながら、彼の作品に対する想いや、超新作というものまで見せてもらった。この出逢いは帰国まで繋がるのだが、日本へ帰国した数日後に呼ばれたパーティーでは、今度はJICAのスタッフと偶然出逢いペルーの陶芸家の話をしていた自分が居た。ペルー後は、明確な「だから出逢う」という感覚が研ぎ澄まされ、いく先々で様々な出逢いを楽しみながら、バルセロナ、南仏、フィレンツェと移動。
フィレンツェでは、今回の旅でもう一つ大きな気づきを与えてくれた、ディミトリというバッグデザイナーと出逢った。アメリカを中心とする薄利多売の拡大ビジネスモデルが、大量廃棄や劣悪な労働環境を引き起こし、誰 かがどこかで疲弊する世の中を危惧するディミトリ。いつしかクリエイティブの大切さも忘れ、メガブランドに魅了されたまやかしや空虚感がつきまとう世界にどんな価値があるというのか?彼は“ポコ ア ポコ POCO A POCO(少しずつ 少しずつ)”という言葉を教えてくれた。できる範囲で、少しずつ広げていく、大切な人に使って貰うため、丹精込めて制作したいという想い。その彼の伝えたいことは、アトリエの道具一つ一つ、棚、壁、服装の全てに広がっており、彼の誇り高い作者としての人生を実現していた。そしてディミトリの元には、名だたるトップブランドのデザイナーが学びに来る。クリエイティブにプライドを持つ彼の姿勢が伝わり、信念を貫く活動は自然とグローバルに広がることを体感した出来事だった。



フィレンツェを離れ、ポルトガル、ヨルダンを経由し、長いこと行きたいリストに入っていたイスラエルのテルアビブに降り立つ。ここでも旅人ファミリーとの再会、戦争と近い街とイメージしていたが予想以上に危機感のない街だった。そんな中、最も強い印象を残したのが、死海への旅の途中で目にした、パレスチナ自治区の分離壁だった。政治や宗教問題が複雑に絡み合い、今もなお続く緊迫した状況に引き戻され、「壁」が人との交わりを完全に遮断してしまうことに心を痛めた。
私の生きている間にこの「壁」が完全に取り払われ、イスラエル人とパレスチナ人の間で緊張のない生活が具現化するとは思えない。だが、私の役目は、もちろんこれからも真剣に遊びを追求すると同時に、コンセプトを軸とした人と人の間に「ドア」を創り続けることだ、ということが明確になった。壁を越えて行き来できる「ドア」は、その存在があるからこそ空間や部屋になり、「ドア」の向こう側には無限の空間を想像することもできる。そして、その「ドア」と「ドア」が連なり、人と人が繋がるクリエイティブコミュニティを創造することこそ、 私の役目でありroomsの役割であると感じた。roomsとは部屋(room)の集合体であり、「奇跡をクリエイトする共同体」。
この旅を通して自分の中で 鮮明に湧き出てきたコンセプトだった。

「奇跡」を具現することは、そんなに難しいことではないかもしれない。

渡邊睦(わたなべ むつみ) rooms コンセプター