日本じゅうの友人たちから親しみを込めて「インドラさん」と呼ばれるその人は、謎多きネパール人紳士。

いつだって忙しそうに、そして楽しそうに世界中を飛び回り、日本人以上に達者なダジャレを飛ばしていつもご機嫌。

インドラさんは何故そんなにも忙しいのか?
何故そんなにも日本語がぺらぺらなのか?

実はとっても凄いお人、インドラ・マン・スヌワール氏の謎に迫った。



現地の言葉で「ラリトプル(美の都)」の名を持つネパールの古都、パタン。



パタンの人々は代々、
織物、仏像、木彫、絵画といった様々な手工芸を営み、
街には趣のある工房や商店がひしめき合う。



世界遺産の寺院や王朝が立ち並ぶひときわ荘厳な区域でさえ、
肩を並べて通学する学生たちや、
買い物に急ぐ主婦たち、

人々の日常が当たり前に営まれている。







 

博物学的な美を持つこの街が、インドラさんのルーツ。

彼は、パタンに代々続く金銀細工職人
「スヌワール族」の末裔として生を受けた。

王族に最高級のジュエリーを献上した祖先たちは、
世にも珍しい宝石を集め、
美しく磨き上げ、華麗な細工を施しては、
高貴な人々の目を楽しませていた。

パタンの街をすいすいと歩くインドラさんの体には、
その気高い血が流れている。



インドラさんの人生において、最も運命的な事柄は二つある。

一つは勿論、
ジュエリーを操るスヌワール族の血筋に生まれて来たこと。
そしてもう一つは、
日本という国にやって来たことだ。

「僕はネパール人なのに、
日本の人の方が気持ちが通じるような気がする時があるんだ」

とすら話すインドラさん。

「不思議だね。僕は日本とすっごく合うんです。
世界中に友達いるけど、日本人の友達がいちばんたくさん。
だから、30年も住んじゃった」



遡ること約30年前、彼が最初に来日した動機は、
実はジュエリーの仕事の為ではなかったと言う。

金銀職人の一族に生まれながらも、
インドラ青年が初めて情熱を傾けたのは、写真の世界だった。

豊かな田園風景、農民たちのひたむきな仕草、
好奇心に溢れた子供の表情。

そのレンズは、彼が「美しい」と感じるあらゆる事象に向かった。







大自然に恵まれた高知県に暮らしながら、
日本人の恩師のもとで熱心に写真を撮り続けたインドラ青年。

恩師を通じて、地域の人々や新たな友人との関係を結ぶうち、
この日本人と言う民族に不思議な親和性を見出し始める。

彼にとってこの国は、出会ったばかりなのに妙に気の合う
ソウルメイトのような存在だった。

そして、あっという間に流れた歳月と引き替えに、
母国語を凌ぎそうな語彙力と、
数え切れないほどの友人たちが彼の財産になっていた。

写真を通してこの世界の美しさを切り取っていたインドラ青年は、
ごく自然な成り行きと、時に数奇な巡り合わせによって
ジュエリーに纏わる数々の出会いを遂げる。

そしていつしか、自らの遺伝子に導かれるようにして
世界的なビーズコレクター、ジュエリーデザイナーとしての道が大きくひらけていった。

今も昔も、彼が愛でる物に垣根はない。

ただ美しさという共通点を持つだけだ。

くるくると永遠に続くような鳶の旋回、



はためくタルチョ(仏旗)越しに臨む、
ヒマラヤの輝き





不思議なスパイスの秘伝レシピや、

東洋の神秘に包まれた漢方薬の香り





熟練の手先が描き出す、細密で鮮やかな曼荼羅





そして、

希少なアンティークビーズの手触りと、

質の良いプレシャスストーンが持つ、引力のような何か。







 

この世界のありとあらゆる美しいものをその目に映し、
心を震わせ、存分に楽しむ。

そうすることで、彼自身から美しさと楽しさが発揮され、
波紋のように周囲へと広がり続けて行く。

そういう、特別なムードを彼はいつでも纏っている。



インドラさんの故郷であるパタンの街は、

2015年4月に起きた大地震によって甚大な被害をこうむった。

人々が生活する道路や家々にも、
世界遺産であるダルバール広場の寺院にも、
未だいたいたしくその傷跡が残っている。



千七百年もの時を重ねながら、作られ、守られ、
その美しさを保って来た数々の建造物と、
その傍らで脈々と営まれて来た人々の暮らし。

たった一日で崩れ去ってしまったそれらを取り戻そうとすること、
その途方もなさを、
この街の誰もが痛感しながら暮らしているだろう。





 

それでもなお、パタンの街は美しい。

美しく、穏やかで、人々は淡々と前を向いている。







 

2016年9月、インドラさんは、
瓦礫の残るこの街に小さなホテル「ZYU」をオープンした。



窓のひさしで猫が昼寝をする三階建ての一軒家は、
インドラさんのこだわりと優しさに満ちた暖かな空間だ。



ホテルに見事な装飾を施すための腕の良い職人や、
宿泊客をもてなすための信頼のおける従業員を集めることで、
この街の人々に新たな仕事が与えられた。

そして、この良質なホテルが建ったことで、
海外からの旅行客がさらに集まり、繰り返し訪れる。

その連鎖が、この街に活気を、希望をもたらしていく。





ジュエリーデザイナーとして水金と出会い、
十年来の付き合いをして来たインドラさんだが、
その顔は一つではなかった。



インドラさんは今日も、

忙しそうに楽しそうに、
この世界のどこかで何かを眺め、
何かを思いつき、
そして、何かを生み出している。

その構想はまだまだ終わらない。

インドラさんが居る限り、その場所には光が差すだろう。



彼が胸いっぱいに吸い込んだ美しい空気は、
温かな息吹となって行く先々を明るいもので満たす。

インドラさんのもとへ集まって来た宝物たちを手に取ると、
それは、彼が見て来た世界中の風景の結晶のように思える。







 

インドラさんの作るジュエリーは、
日本人の目にはとてもエキゾチックに映る。

それらにはネパールやインドの伝統的な意匠やアンティークのパーツが見られるが、
かといって現地の何処を探しても、
同じようなジュエリーを見つけることは出来ない。



インドラさんが持って生まれたネパール人としての民族性に、
日本での暮らしによって得られた新たなインスピレーションと深い共感。

「ネパール」と「日本」と言うふたつの文化、
ひいてはふたつの美意識が融け合った独自の色調が、
インドラ・マン・スヌワールのクリエーションを生み出している。



今となっては、
彼の中には半分、日本人の血が流れているのかもしれない。



<テキスト・撮影 國府田真由> <画像提供 Indra Man Sunuwar>