ショップ

ブランド

アーカイブ

2017.09.01
INTERVIEW SERIES - 扉の向こう側 - #001 keisuke kanda Designer 神田恵介


INTERVIEW SERIES - 扉の向こう側 -

#001 keisuke kanda
Designer 神田恵介さん












取材・文 保科ゆみ子 / Lamp harajuku

「人が心躍る瞬間とはどんな時だろうか。人との出逢いにせよ、ファッションにせよ、退屈な日常というリアルにヒビが入った時に、何か新しいことが始まるとドキドキして、心が躍るんじゃないかな。そう、自分だけのファンタジーが始まる予感がするからだ。」
(Twitter 神田 恵介 ‏@keisuke_kanda 2015.12.16)

keisuke kandaの洋服は、学生時代に誰もが着ていたような制服を思い出させる。体育のジャージ、制服のスカート、ダッフルコートなどの古着のリメイクが有名だ。何着分かの元の洋服をパーツに分け、はぎ合せて新たな一着とする。いかにも手縫いの愛嬌あるちくちくステッチが特に目を引く。ブランド設立から11年目。最近では朝の連続テレビ小説『まれ』の主人公が着ていたことでも注目された。

立春を迎えた東京は暖かな日が差していた。新宿にあるkeisuke kandaの直営店にお邪魔してLamp harajuku Creative Directorでありバイヤーでもある矢野悦子とともに、デザイナー神田恵介さんにお話をうかがった。

Lamp harajukuとの出会い
「自分は矢野さんに出会えて本当に運が良かったですよ。今の若い世代でこれからデザイナーになろうという人たちは、こういう存在と出会って欲しいです。こればっかりはご縁なんですけど。」と、彼は言う。

2005年11月の『装苑』に特集されていたLamp harajukuの記事を見て、この店は普通のセレクトショップではない、唯一無二の存在だと感じた。「当時、憧れのショップだったんですよ。僕らの間で噂になってたんです。「バイヤー米山悦子」って記事にどーんて出てて、バイヤーの名前なんて、普通知らないじゃないですか。コメントを見てて、なんだかクリエイターのような方だと思いました。自分の服をここに置いてもらえたら最高だと思いました。」

そうして段ボールいっぱいに詰めた服を送ったのがはじまりだった。

矢野(当時・米山)にどうしても自分の作った服を見てもらいたい。でも、普通に招待状を送ったところで来てもらえないだろうと思い、ひねり出した策だった。

2005年はブランドを設立したばかり、中目黒の焼鳥屋の屋根裏部屋で展示会を行っていた頃のこと。まだまだ無名だった。

数日後、驚いた矢野から電話があり、「こういうのは困ります」とお叱りを受けた。それでも、その後に「伺います」と言われた時は本当にうれしかった。

面識のないバイヤーに突然作品を送りつけたのだ。段ボールを開けてもらえたとして、何これ?と、無視されることだってあり得た。叱ってくれる人はなかなかいないと思う。作品に何かあったら大変なことだから、と言われたことにも心打たれた。

「当たり前ですけど(笑)、それまでそんなことしたことはなかったです。あんまり自分から積極的にいかないタイプなんですよ。基本は受け身。でも、人生の節目では攻めた。そんな行動のひとつでした。」

矢野から見たkeisuke kandaのはじめての印象は、「正直よく分からなかった。でも新しい、トライしたい」というものだった。当時今よりもずっとガーリーだったセレクトの中にどうして取り込んでいったらよいか、悩みながらも数年かけて取り入れた。その辺りからガーリーだけではない毒のようなものが生まれ始めて、店は進化してきた。

はじめからLamp harajukuに入りそうな洋服だったのでしょうか?という質問には、「恋愛感情に近いものがあったから、理想の男になろうみたいなところがありましたね。だから無理矢理にでも寄り添えたらという気持ちでした。それが自分たちには良かったです。明確な女性像もないままにブランドを始めてしまったけど、一緒にやっていく中で見えてきた。勉強させていただきましたね。」と持ち上げていただいた。

しかし矢野曰く、「Lamp harajukuという枠からはみ出てくれるから、追っかけたくなる」ということで、恋の駆け引きは成立していたようだ。

ウィンドウインスタレーションを依頼することもたびたびで、今ではすっかり定番のブランドとなった。「Lampさんだったらどうしたらいいだろうか?」と、毎回頭を悩ませたこともいい経験になったと言う。ファッションブランドでありながら空間演出にも優れている彼らのアイディアで毎回違った表情を見せてくれる。

デザイナー神田恵介
彼が紡ぎだす言葉や、なんともかわいい洋服のイメージからするとギャップがあるワイルドな雰囲気の方である。デザイナーなんだ、と圧倒されて挨拶するのにも勇気がいるが、それを察して気さくに話しかけてくださる。頭の回転がはやく、話のおもしろさに引き込まれてしまう。

矢野が言うには、「神田くんは男に憧れられる男」。ダンボール事件の後、はじめてアトリエを訪れた時10人程のスタッフがいたことに驚いたと言う。当時はまだ駆け出しのブランドであったが、彼を慕い、ほとんど無給でも手伝おうという気持ちのある仲間たちに囲まれていた。

展示会に行くと、こちらが2名なのにスタッフが5、6人で、さらにはドアマンまでいたというのも今ではちょっとした笑い話だ。そして彼らのおもてなしぶりは過剰ともいえる程だったそうで、エピソードには事欠かない。

「なんでもそうなんですけど、too muchなんですよね。」と、神田さんは言う。

あまり意見をしない矢野に一度だけ言われたのが、タグが長すぎないか、ということだった。シーズンを追う毎に少しずつ長くなり、その時は誇張ではなく30センチメートルくらいになっていた。首の後ろから背中の真ん中にかかるほどだが、そこには彼の伝えたい想いがびっしりと書かれていた。

デザイナーというのはいかにミニマムにバランスをとるかということを競い合っているところがある、ということにようやく気付いてきたそうだ。「自分がやってきたのは図らずも逆のこと。良くも悪くもキャラは立ってたんでしょうね。面白がってもらえたのが良かったのかもしれない。」

今の彼からは想像できないが、子ども時代はクラスでも特に目立つ方ではなかったと言う。「子供の頃はどこにでもいる普通の子でしたね。思春期になってもやりたいことや夢もなかった。エネルギー自体もてあましていました。」

服を作るようになって、今の神田恵介になった。今まで使ってこなかったエネルギーが全て、服作りに注ぎ込まれている。

「死ぬまでに使い切れたらいいですけど(笑)。」

keisuke kandaができるまで
最初の服は、大学生の時、好きな子にプレゼントするために作ったものだった。はじめは買うつもりでいろいろなお店をまわっていたが、この色が、襟がな、これは素材が違うな、と、しっくりこない。彼女への気持ちと服が好きな気持ちと、理想の服はイメージできるのにみつからない。そこまで具体的に見えているなら作ればいい。でも作るのはめんどくさそうだな、と思いながらもとにかくやってみた。やってみたら面白かった。それがリメイクで作ったはじめての服でもあり、原点だ。

その後も独学で服作りを続け、早稲田大学在学中に仲間たち(現在のANREALAGEデザイナー森永邦彦さんもいた)と井の頭線でファッションショーをして新聞記事にもなっている。日曜の普通電車の中、無許可で行い、もちろんお叱りを受けることとなった。

服作りを専門的に勉強したくなった彼は、大学を卒業後、文化服装学院に入学する。生地から作る服の基礎を学び、それを追求していた時期もあったが、今はリメイクという原点に帰ってきた。

keisuke kandaの服作りは、アイテムにより様々ではあるが、1着作るのに10着分のパーツを使うこともあるという。だからといって、うまい具合に10着が出来上がる訳ではない。

「効率良くは無いですよ。そういうこと考えたら絶対できない。ファストファッションとかでリメイクが無いのはそういう理由でしょうね。手間もかかるし、なんでリメイクと言われたらわからないけど、大変なのが好きなのかな。」

工場で縫えないものも多く、自分たちのスタジオで作る。効率やビジネスを先に考えるならば出ない結論だ。こういうものが作りたい、ということが先にあって服を作っている。普通のいわゆるアパレルのやり方とは真逆の世界である。

keisuke kandaは個性がはっきりとしていて、誰もが着やすい服とは違っている。だから最初から売れる服作りだった訳ではないようだ。今ではビジネスも軌道に乗っているが、苦しい時代もあった。そんな時代からオーダーを続けてきた矢野には恩義を感じているようだ。

神田さんから見た矢野は、「ドライではないですよね。ビジネスだと売れなければおしまい、数字で切ったりすることもあるけれど、それができない人ですね。」

Lamp harajukuを唯一無二の存在にしているのは彼女の選択眼と人間性にあると分析する。なんでも早かった。その時点では他が選んでいないブランドを入れていた。そのクリエイターたちが今、力をつけてきている。

二人の会話から、お互いへの信頼を感じた。デザイナーとバイヤー、売り手と買い手、というだけではない関係が10年を通じてできている。あの時はああだったね、こんなこともあったよね、とインタビュー中も笑いが絶えない。面白いエピソードがたくさん出てきて、ここでは伝え切れないのが残念でならない。

神田さんは服を作ることでたくさんの夢を叶えてきたと言う。

「それがビジネス的な夢じゃないんだよね。銀杏ボーイズも大好きで、彼らに純粋に着てほしいって服をプレゼントしたんだよね?それが結果仕事になってるのが本当にすごいよね。」と、矢野も同意する。

矢野に段ボールに入った服を送った時のことも、銀杏ボーイズのお話も節目となるエピソードだった。あまりご自分からアクションしないということでしたが、行動するときにドキドキしたり、だめだったらどうしよう?と思ったりはしませんか?と聞くと、「あんまりそういう風には考えなかったですね。僕の日常ではなくて、非日常だったからかな?意を決した時でしたから。それは決意にも似たことですね。だめだったらどうしよう、っていう告白的な感覚からは一周してて。もっと踏み込んだプロポーズのようなイメージでしょうか。」との答えだった。
チャンスに後ろ髪は無いというが、節目を見極め、その前髪をしっかりつかんでこられた方である。

「まだまだこれからですよ」

今の評価にも甘んじていない。エネルギー全開で進化を続けるkeisuke kandaのこれからも楽しみだ。