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静かなるデザイナーに、
男の生き様を見た

- 2008.03.10
とっつきやすいかどうかで言えば、ちょっと寡黙な印象だった。
月に一度のミーティングで顔を合わせているうちに、実際はまったく違うことに気がつくのだが‥・・。僕はその逆で、見た目が色黒でよく喋るから、チャラチャラして見える。そのくせ、実際心を開くのに時間がかかるから、タチが悪いと思う。
サトルさんとの出会いは、僕の師匠がサトルさんのPRを担当する大沼さんを紹介してくれたことだ。大沼さんは、以前いらっしゃった会社が出版社だったので何度かお会いしたこともあった。今は「SATORU TANAKA」というブランドのPRをしていると聞いていたが、コレクションなどは一度も見たことがなかったため、先入観や特別な感情はなかった。お話を聞くと「SATORU TANAKA」「POLITELY SATORUTANAKA」という2つのブランドを手がけており、PRをお願いしたいとのことだった。PR01.にはたくさんのブランドが置いてあるため、他のブランドを見に来た、まだ「SATORU TANAKA」を知らない人にもブランドを知ってもらえるからだ。
サトルさんが毎回参加している東京コレクションの映像を見せてもらい、実際作品を触らせてもらった。たぶん彼が憧れたであろうモノや何かが伝わるコレクションであり、作品だった。僕は6年間レディースのPRをしてきたので、レディースにある哲学とメンズにある哲学に関しての差がなんとなくわかる。メンズのこだわりとは、まさに「人生」。流行を切り抜いたものではなく、成長過程で気づき、気づいたものが服として表面化されることがメンズには多い。まさにそういった空気を感じる作品だった。表現するものに迷いがなく、デザイナーとしての経験の深さも伝わった。こうなると、サトルさんに会うしかない。 次の週プレスルームにて、その面談は行われる。
初めて対面した時に感じたのは「静かなプレッシャー」。時間にしたら30分位だったのだろうか? サトルさんの今までのPRのやり方を踏まえつつ、僕やプレスルームが目指す新たな方向に共感してくれるかどうか、彼に熱心に話し続けた。サトルさんは僕の話を聞いて、静かに頷いていた。
その後、彼が持っていたラジオ番組に招待してもらったことがあり、僕の今までの経緯を聞かれたことがある。僕はもともと音楽がやりたくて、ギター1本で岐阜から上京した。親もそんな僕にお金を出してくれることもなかったので、しょうがなく住み込みで働くことになる。しかも田舎出身のため、世間体的に学校くらい行っていることにしてくれと、まったく興味のない音楽学校に入学させられた。 東京というのは便利なもので、そういった学生のために、学費を立て替える代わりに住む場所と仕事を提供してくれるシステムがある。それが、「新聞奨学生」だ。 驚いたことに、サトルさんも音楽のために上京し、その新聞奨学生を経験していたのだという。自分もやっていたので良くわかるが、朝2時半に起きて新聞に広告を挟み、300件以上の家に配達をする。夕方になると、朝よりは少ないものの1時間以上走り回ってまた配達。雨の日も、台風の日も、雪の日も休むことなく。
根性の人だ。お酒も一切飲まない。なのに、朝まで遊んでいるらしい(実はいまだ一緒に夜遊び出来てない)。
自身のブランド「SATORU TANAKA」「POLITELY SATORUTANAKA」と2つのコレクションを行いながら、株式会社ワールドが運営する「BOYCOTT(ボイコット)」のデザインをもする。
パワーも生き様もすごい。
人生を泳ぐ力は人それぞれ。
人は皆、人生のどこかで区切りをつけて、都合の良い方向に持っていくために妥協するのだろうが、サトルさんはクリエイションに全てを捧げている印象だ。2人で酒を酌み交わし(ってサトルさん酒飲めないけど)、もっと深いところを聞いてみたいと思わせる数少ない人。場数を踏んでいるとか、僕より年配でたくさん経験を積んでいるとかではなく、男気やセンスなどが僕とはまったく違うレベルにいるのだ。自分は色んな理由で才能ある人をPRすることを決意する。そんなクリエイターにはずっと走り続けて欲しい。
- Writer Profile:
- 松井智則(まつい とものり)
2000年、メンズ・セレクトショップ「CANNABIS」のPRとしてアッシュ・ペー・フランス株式会社に入社。2001年、社内アタッシェ・ドゥ・プレスに移動後、2007年「PR01.」ディレクター就任。 - Photo
- Hanayuki Higashi





